お知らせ

2月15日は涅槃会(ねはんえ) ④

涅槃像 ワットポー(タイ・バンコク)

 

釈尊の弟子であるアーナンダは「師が入滅された後、ご遺体はどのようにすれば良いですか」と聞き、釈尊は次のように答えています。

 

「アーナンダよ、お前たちは修行完成者の遺骨の供養(崇拝)にかかずらうな。
どうか、お前たちは、正しい目的のために努力せよ。正しい目的のために努力せよ。
正しい目的を実行せよ。正しい目的を実行せよ。正しい目的に向かって怠らず、勤め、専念しておれ。
アーナンダよ。王族の賢者たち、資産家の賢者たちで、修行完成者(如来)に対して
浄らかな信をいだいている人々がいる。かれらが、修行完成者の遺骨の崇拝をなすであろう。」

中村元訳「ブッダ最後の旅」
岩波文庫版140頁

 

お釈迦様は出家者である弟子達には、
釈尊の遺骨のことに関わらないないように、と言い遺します。
遺骨のことは在家信者達に任せよ、というのです。

 

釈尊は入滅前に、自分が関わる四大聖地のことについても語ります。

「アーナンダよ。信仰心ある修行僧・尼僧たち、在俗信者・在俗信女たちが、
修行完成者はここでお生まれになった、
修行完成者たちはここで無上の完全なさとりを開かれた、
修行完成者はここで教えを説き始められた、
修行完成者はここで煩悩の残りのないニルヴァーナの境地に入られた、
といってこれらの場所に集まってくるであろう。

アーナンダよ、誰でも祠堂の巡礼をして遍歴し、
浄らかな心で死ぬならば、かれらはすべて、死後に、身体が壊れてのちに、
善いところ、天の世界に生まれるであろう」

中村元訳「ブッダ最後の旅」
岩波文庫版 139頁

 

釈尊の生まれたルンビに、さとりを開かれたブッダガヤ、
初転法輪の地であるサールナート、そして入滅の地であるクシナガラ。
釈尊は、この聖地を巡り、清らかな心で死を迎えるのであれば、
輪廻から離れて、天の世界に生まれ変わることができると言います。

 

遺骨への信仰や、こうした聖地の巡礼が在家仏教、
大乗仏教の起こりの一端になったという説は、
こうした釈尊の言葉に拠るものです。